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家族でアウトドアは
私のアウトドア体験記です。
私は元来アウトドア派ではありません。
しかし
友人に誘われ、いやいやながらもやっていく中で
アウトドアの楽しさを少しずつ分かり始めた
食わず嫌いって言うやつです。 |
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■ 鉄道の旅 ■
今では、どこへ行くにも車だ。
しかし、自分がまだ幼かった頃は
近所でも車を持っている人は
それほど多くはなかった。
私の住んでいた函館から
木古内の叔父のところへ遊びに行くには
いつも列車を利用した。

母と自分、そして本家の叔母と息子も一緒だった。
列車のワンボックスの床に新聞を敷き、
靴を脱いでくつろいだ。
今の列車のように
窓が開かないなんてことはない。
その窓から駅弁を買い、
見送りに来た人は
その窓からお土産や道中のおやつを差し入れる
光景はよく見られた。
見送りに来た父は
キヨスクでお菓子を買って窓から手渡し、
まもなく列車が出発する。
もちろん蒸気機関車D51。

ゆっくりと白い蒸気を吐きながら進んでゆく。
駅から離れると親から窓を閉めるように言われた。
煙が中に入ってくるからだ。
叔父の家へは何度も鉄道を利用したが、
それはいつも小さな旅行だった。
とれた席が海の見える側のときは
とても嬉しい気分になれた。
走り始めて15分ぐらいすると
母は持ってきた紙袋から
昨晩ゆでた毛がにを出す。
毛がには父が海でとってきたもので、
その量も半端な量ではなかった。
父は別に漁師だったわけではない。
ごく普通の月給とりだった。
その毛がにを食べながら会話に話が弾む。
いいだけ食べると
今度は叔母が紙袋からバナナを出す。
当時のバナナは高級品、
運動会や花見といった
特別な日しか食べられなかった。
それゆえ、
汽車で旅をする日は
いつも特別な日だった。
窓から見る景色が緑に染まり、
石垣が見え始めると、
トンネルの近いことを予感させる。
周囲の人も一斉に窓を閉める。
窓を閉めても、
独特の煙のにおいが窓の隙間から流れてくる。
耳がつ〜んとして、
窓に自分の顔が映る。
蒸気の音と線路のつなぎ目が
蒸気機関車独特の走りのリズムを作りだす。
列車が何よりも好きだった自分には
最高のひと時だった。

■ 寝台車 ■
あるとき母と仙台までいった。
母の姉が仙台にいた。
連絡線で4時間ゆられて
夜中に青森に着くと
今までに乗ったことのない
青とクリーム色の電車に乗り込んだ。

図鑑でしか見たことのない列車だった。
しかも座席ではなく、
すべてのボックスにベッドが設置されていた。
列車好きの自分が
落ち着いていられるわけがない。
中を歩いてみると
食堂車に行き着いた。
はじめてみる食堂車。
食堂車で食事なんてできっこないと
思っていたから中だけ見物して席に戻った。
ベッドは狭かったけれど、
なんだか夢の中にいるような気分だった。
夜中に走る列車の窓からは
何も見えない。
ただ自分の顔が映るか、
ときおり、
遠くに小さな灯りが見えるだけだった。
朝起きると母が食堂車へ行こうといった。
うれしくて飛び上がりそうだった。
今でも食堂車で食べたオムレツの味は
忘れられない。
それまでオムライスは
食べたことがあったが、
オムレツは初めてだった。
なんだかすごく高級な旅をしているように感じた。

■ 蒸気機関車と鉄道模型 ■
幼い頃、
よく家のすぐそばにある機関庫に行った。
なにをするわけでもない。
ただ機関車が走るのを見たかった。
機関車の動力部分と歯車はあらわで、
何時間見ても飽きなかった。
ときどきC62という機関車も見かけた。
機関車の前方左右にツバメのマークが入っていて、
いかにも速そうな機関車だった。
C62を見れた日はなにか宝物でも
見つけたような気分になれた。
自分には汽車のおもちゃが沢山あった。
どれも蒸気機関車だった。
家の敷居を線路に見立てて走らせたり、
時にはたたみの目を
線路に見立てたりして遊んでいた。
ある時誰かがプレゼントで
トミーのプラレールを買ってくれた。
もうはまりにはまって、
外へ行くよりも
プラレールで遊ぶことのほうが好きになった。
父も協力してくれて、
線路や列車を少しずつ集めてくれた。
しかし小学校に上がるまでには、
プラレールが物足りなくなっていた。
ある時デパートの模型コーナーを見た。

すると様々な列車のミニチュア版があるではないか。
しかも景色までリアルに作ってあった。
その模型に魅せられてしまった。
しかもその模型は電気で走る。
自分の手元でポイントの切り替えもでき、
列車のスピードもコントロールできるのだ。
雲の上のおもちゃだった。
それをNゲージと呼ぶのだと分かったのは、
それからかなり経ってからだった。
値段を見るととても我が家のような
貧乏一家が買える物ではない。
でもいつか手に入れたいという思いだけはあった。
それ以来プラレールは眼中にはなくなり、
常にNゲージのことばかり考えていた。
高校を出て働き始めたときも
あるプラモデル屋さんの前に
展示されていたNゲージのジオラマに
目が釘付けになった。
しかし自分の給料では買えるものではなかった。
そして44歳になった今、
やっと息子の趣味に乗じて
Nゲージを集められるようになった。
息子もNゲージファンであるが、
息子に買え買えと勧めるが
実は誰よりも自分がほしいのだ。
今でも我が家の家計には高価すぎる趣味である。
それゆえ、
息子がお年玉をためるとNゲージの店へ連れて行き、
彼が本能のままにお金を使うことを許す。
当然彼もNゲージに釘付けだから
Nゲージしか買わないことが目に見えている。
今少しずつ部品を買い足し、
規模を大きくしている。
本当に少しずつ・・・・
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