アメリカ留学


家族のアメリカ物語

出発 ☆ 育児 ☆ 日常生活
家族のアメリカ物語は
貧乏学生だった私のアメリカ留学奮闘記です。
妻も子もいた私が
一家を引き連れてアメリカへ行くことになりました。
そんな冒険的留学でしたが、
やはり行ってよかったと思います。
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■ アメリカ移住決定 ■



それは1993年7月だった。



たまたま受けた文部省交換留学生選抜試験に合格した。

当時私は大学3年生(31歳)、

妻を持ち、二人目の男の子に恵まれたときだった。



次男はわずか3ヶ月、

文部省から出る渡航費と学費は自分の分だけ・・・



しかし、家族をおいて旅立つことはサラサラ頭にはなかった。



もちろん、親なんて頼ろうとは思わなかった。



当時自分がバイトをしていた塾(弘前市城東書院)も

やめなければならない。



塾長に留学生選抜試験に合格したことを告げ、

塾をやめなければならないことを告げた。



普通であれば、そこで話は終わり、塾長は次の働き手を探すだろう。



しかし、塾長は喜んで、

「あ〜、行ってきたらいい。いい経験になる。

家族の生活費も無利子で貸してあげるから。」



喜びと同時に、塾長の懐の広さに頭を上げられない思いだった。



こうして9月家族はアメリカへ旅立った。



孫を見れなくなる両親は寂しさと、海外での生活に心配を募らせていた。



行き先はアメリカ サウスキャロライナ州 コロンビア、

学ぶ大学はサウスキャロライナ州立大学 

専攻はTESOL(第二外国語として英語を教えるための指導法習得コース)



私たちは成田空港へ向かった。



私は荷物を持ち、

妻は次男を背中におぶり、2歳の長男の手を引いていた。



今も当時もこんな格好で成田空港内を

歩いていた人はいない。



とにかく荷物の多さに、

周囲の目を気になんてしていられなかった。



子連れの旅、それも乳飲み子を抱えての旅は

それほど大変だということだ。




■ 子持ちにやさしい乗務員 ■


赤ちゃんが寝られるようにスペースを作り、

粉ミルク一缶とオムツのサービスがあった。



およそ12時間の長旅、

ポートランドを経由してアトランタまで行き、コロンビアに到着した。



長時間座席に釘付けになっていたことと時差で私たちは疲れ果てていた。



空港に降りた私たちは、仲間からの警告に従って、

イエローキャブ(タクシー)を探し、

予約していたホテルへと向かった。



少し腹が減っていたので、自販機でパンを買った。

砂糖で作ったパンかと思うほど甘かった。



パンを食べ、ぐっすりとねむった。

アメリカ第1日目の昼であった。





■ COLD TURKEY ■

(「冷たい七面鳥」って何?) 

当時妻が記した家族新聞から



こちらに来てから夜中12時、3時、4時、5時と何度も起きて泣き出し、

朝まで眠れない建佑(ケンユウ:次男・生後3ヶ月)。



私たちは時差ぼけのせいだと思っていた。



しかし、1ヶ月以上も経っているのに治らない。

おまけに泣き出すと、おっぱいを口にしない限り、

あやしても歌を歌っても寝ない。



ミルクはまったく受け付けない。



アメリカの友人に妻は相談した。



彼女はそれが時差ぼけや病気などではなく、

精神的なものであるといった。



4,5ヶ月ともなるといろいろなことが分かり始めて、

お母さんの匂いやおっぱいを求めておきるのだという。



そして彼女は、次男を一人別の部屋で寝かせ、

ひとりで眠れるように訓練すべきだとアドバイスをくれた。



彼女の貸してくれた育児書には、

その訓練はコールドターキーと呼ぶと記されてあった。



その訓練、つまりコールドターキーとは放っておくこと、

泣いてもおっぱいもあげず、あやしにも行かない。

とにかく放っておくことが一番だと記してあった。



数日経つうちに泣く時間は少なくなり、

朝6時にすっきり目覚めるようになった。

妻はその記録を書き留めた。

以下がそれである。
   
 訓練1日目 

      夜中12:30〜1:30 泣き通し、
                     結局おっぱいをあげてしまう。

      朝5:00 泣く

      朝6:00 泣く

 訓練2日目 

         ためしに 起きて泣き出す前に
         おっぱいをあげてみた。
         (夜中1時、4時)

         しかし、朝5時、5時半、6時と泣き出し、
         おっぱいをあげても同じなので6時過ぎ
         泣きやむまで泣かせた。
     
         結局30分泣いて、ウトウト眠る。

 訓練3日目 

          おっぱいをあげずに泣かせておいた。

      夜中3時  15分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

         4時半 5分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

         6時   2分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。
 
 訓練4日目 

      夜中1時半 20分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

         4時   5分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

         5時   5分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。
 訓練5日目  

        朝5時  5分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

          6時  2分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

 訓練6日目  

        朝5時  10分間泣き通したが、
              一人で寝ることができた。

        7時半  笑顔で目覚めた。
              コロンビアに来て初めてだった。

            

その後、数回夜中に泣くことはあったが、

朝6時までぐっすり寝る日は増えてきた。



以後、彼は時間になるとひとりで部屋で眠り、

朝、笑顔でおきるようになった。





■ Are you OK? ■


近所の公園へ遊びに行ったところ、

2歳位の男の子と3歳位の男の子が遊んでいた。



我が家の長男もその中へ入り、

仲良く滑り台で遊んでいると

2歳位の男の子が転びそうになった。



するとそれを見ていた長男(拓也)が

「Are you OK?」と聞いた。



するとそのこは「Yes」と答え、

会話が成立!







やはり子供は自然に英語を覚えるのだと

妻は実感したらしい。





■ 妻の日常 ■


私が大学で勉強している間、

妻は二人の子供の世話をしていた。



だからといってずっと家にいたわけではない。



週に何度か近所のバプテスト教会が

主催している英会話教室にも通った。

託児所もあって、二人の子供をあずけて、

勉強に集中することができた。

    


妻は帰国するころには日常会話には

ついていけるぐらいに会話の力を伸ばすことができた。



あるとき車同士の接触事故を起こした。

そのとき、警察が来て、



妻と相手の運転手から事情を聞いていたらしいが、

なんだか相手のいいように話をもっていかれ、

悔しがっていた。



やはりもっと英語力ものばさなきゃという気にさせた事件だった。



妻は買い物にも行くし、日本の主婦たちのように

公園デビューもした。



近所の中国人の女性友だちとも仲良くなって、

買い物にも出かけた。

とにかく、普通に生活を楽しんでいた。





ある時期から長男を保育所に入れた。



長男にも自分の世界を広げてほしかったし、

なにより、家族が社会生活を普通にすることで、

アメリカ社会の様々な面を知るきっかけにもなった。



病院、保育所、英会話、教会など、

人のいる場所にはどんどん飛び込んでいった。



妻はお気に入りの店を見つけるのが早く、

車でドライブしては、ショッピング情報を入手していた。



限られた生活費で帰国まで頑張らなければならない。

安いものをとことん探していた。



サウスキャロライナの物価は日本のほぼ4分の1だ。

だから無理に安いものを探さなくても、十分暮らしてはいけたのだが、



妻の家計管理のおかげで、

アメリカ国内の旅行を何度も楽しむことができた。




■ 床屋 ■


床屋はいろいろあるけれど、

上手だと思える床屋は少なかった。



まず床屋になるために日本のように資格取得が必要ではない。

だから誰でも床屋になることができる。

比較的上手なのは韓国人がやっている床屋だ。

日本の床屋を思わせる店が多い。




■ 食事 ■


和食の食材屋はどこにでもあるわけではないが、

大きな街には必ずある。



韓国の食材屋でも和食の食材を扱っているところが多い。



別に和食にこだわらなくてもいいのだが、

我が家ではアメリカ式料理を3食続けるのは耐えられなかった。



納豆は実にうまいものだと改めて認識した。



たまに和食レストランにも行ったが、

和食レストランも日本人シェフがいるところなら安心できるが、

日本人シェフでないところは、

最悪の和食を出されるところもあるので、要注意だ。



たまに両親から日本の食材が送られてきたが、

とってもありがたかった。



そうめん、高野豆腐、

のりなどの乾物はじつにありがたかった。



アメリカ南部の代表的料理はなんといってもフライドチキンだ

おいしい店はいっぱいあるのだが、

やはりケンタッキーフライドチキンが一番人気だ。





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