大陸横断☆車


家族のアメリカ物語

クリスマス休暇旅行 ☆ 友人との再会
家族のアメリカ物語は
貧乏学生だった私のアメリカ留学奮闘記です。
妻も子もいた私が
一家を引き連れてアメリカへ行くことになりました。
そんな冒険的留学でしたが、
やはり行ってよかったと思います。
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■ アメリカ大陸横断! ■




1993年12月19日、

私たち一家はアメリカ大陸横断の旅を開始した。



向かうはカリフォルニア州サンディエゴ。



誰もが私たちをCRAZYと言った。

買ったばかりのポンコツに、

乳飲み子と3歳になる子供を抱えての旅だ。



1日8時間から9時間の旅、

子供たちにも、

我々両親にとっても大変なことは言うまでもない。



しかし、

今思えばなんと言われようと、

行ってよかったと思える。



飛行機では味わえないアメリカを存分に堪能できたからだ。



テキサスの広大な荒野、

アリゾナのサボテンだらけの砂漠、

都市に入ると立ち並ぶ高層ビル群、

ロッキー山脈の赤い岩肌、

カリフォルニアで見た太平洋。



子供たちの記憶には残らないだろうけれど、

私たち夫婦には最高の思い出となった。




■ コロンビア〜アトランタ ■


1993年12月19日午後2時30分

私たちはコロンビアを出発した。



はじめに向かうのはアトランタ。

目標午後6時30分アトランタ到着!



ここでアメリカの高速道路について触れておこう。



アメリカの高速道路(フリーウェイ)はその名の通り無料だ。

しかも日本の高速道路と大きく異なる点は、



トンネルがないということだ。




つまり、山があれば山の斜面に沿って道路が作られるため、

乗っている私たちはさながら

ジェットコースターにでも乗っている気分であった。



山の頂上にたどり着けば、

眼下に広大な景色が広がり、

その景色を見ながら一直線に坂を下りる。

なんと気持ちがよいことか。




そうして私たちはジョージア州の州境にある案内所に立ち寄った。

ホテルのディスカウントチケットを手に入れるためだった。



私は車を止め、妻は次男とトイレへ向かった。

長男はぐっすり眠っていたので、

ロックして案内所へ向かった。



案内所はガラスばりで、

車の様子もよく見えた。



ディスカウントチケットを手に入れ、

車に戻ると妻もトイレから戻ってきた。



さあ、出発だ〜と

車のカギを取り出すためにポケットに手を突っ込んだ。

ない。

すべてのポケットを探してもない。

あせり始めた。



すると、カギは車のハンドルの横に刺さったままだった。

やってしまった!



妻はあきれている。

早速、窓をたたいて寝ている息子を起こしにかかった。



息子は目は覚ましたものの、シートベルトにつながれていて、

窓のところまで手が届かず、なき始めた。



妻はジュースを見せて、

しきりに中から開けさせようと試みるが、

ただ泣くばかり。



案内所の職員に頼んであけてもらった。

職員はハンガーをのばし、

20分かけてやっとあけることができた。

感謝!感謝!



妻からの非難も覚悟していたが、

あきれて何も言わなかった。




■ 過去最悪のホテルを経験 ■


安けりゃいいの旅を続けていた我々が、

アトランタの宿泊施設として選んだのはユースホステル

「地球の歩き方」という本の中で紹介されていた。



紹介文では「ホスピタリティーに満ち溢れ・・・」と

書かれてあったので、とても良いイメージを抱いて

そこへ向かった。



大きな部屋に2段ベットがいくつもあって、

男女の区別なくそこで休むことになっていた。

ちょっと驚きだった。



家族用もあると聞いたので、

そこを案内してもらうと、

男女がざこ寝している部屋を通ってその奥に、

ファミリールームなるものがあった。



トイレもバスも共同。

子供が夜中に泣いたら迷惑をかけること間違いなし。

部屋は寒く、隙間風が吹いていた。



ベットはシングルベットが二つ並んでいて、ほこりだらけ。

おかげで鼻炎を再発してしまった。

以後、妻はユースホステルに泊まるという選択肢は排除した。




■ アトランタ 〜 ジャクソン 〜 ヒューストン ■


朝目覚めると、

私たちは逃げるようにしてホテルを後にした。

朝のアトランタ市街地を見て周った。



クリスマス前とあって、

街は少々忙しさを呈していた。



ここアトランタにはまた来られると思い、

次の目的地ジャクソンへ向かった。



ジャクソンは見るものがそれほどなかったので、

寝るだけだった。



翌朝すぐに我々はヒューストンへと向かった。

メキシコ湾沿いに車を走らせ、ミシシッピーを渡った。

長い長い橋だった。



海沿いの心地よい風に吹かれながら

ドライブを楽しんだ。



途中のレストエリアで朝作っておいたサンドウィッチを食べ、

拓也、建佑と外の風に吹かれながら身体を動かした。





拓也にルートビアー(サロンパスの香りがする炭酸飲料)

を飲ませてみた。

案外いけたらしく、

グビグビ飲みはじめた。



建佑にも飲ませた

妻に叱られた。



休息をとり、車を走らせた。

砂漠の中に油田がいくつも見えた。



夕方我々はヒューストンまであと〜マイルという看板を見た。

車線が増え、高層ビル群が目の前に見えてきた。

大都市に近づいていることを感じさせた。



入り組んだ高速道路、

あまりにも多い標識、

間違えまいと必死だった。



何とか迷わずついたホテルは

この旅の中で妻が一番気に入ったホテルだった。



値段はこの旅行の中で一番高かった。

高いといっても日本のビジネスホテル一人分の2分の1の安さで

家族4人が泊まれるのだから、

破格と言っていい。



しかも例のごとく州境の案内所でクーポンをもらっていたので、

さらに安く済んだ。



街は賑やかだった。

確かに都会である。




■ 美しい水の街 サンアントニオ ■


ヒューストンを後にした私たちは

今回のたびの見所の一つとして

サンアントニオで観光をすることにしていた。



町の中心部にはパセオ、デル、リオ川が流れ、

川の岸辺にはきれいな建物が建ち並ぶ。

まさに水の街といっていい。



またアメリカというよりも

スペインの文化を色濃く受けた町といってよい。

まるで異国で買い物をしているようだった。


サン・アントニオでの観光名所

■ アラモ砦 ■







1718年スペインの神父によって建てられた伝道教会は、

ハリケーンと伝染病による人口の減少で

その役目を終えるが、

その後スペイン軍の駐屯所として使われる。



1821年メキシコがスペインから独立。



その当時テキサスではアメリカからの移民も増え、

メキシコの独裁政治に自治権を求める気運が高まった。



独裁者サンタ・アンナは
この不穏な動きを一掃しようと兵をよこすが敗れてしまう。



それを怒ったサンタ・アンナは大軍を率いて

サンアントニオ川対岸に現れる。



愛国心あふれる勇者たちは13日間激しく戦うが、

援軍が遅れついに数に勝るメキシコ兵の前に全滅する。



アラモ陥落の46日後



「Remember Alamo」の掛け声も勇ましい

サム・ヒューストン率いるテキサス軍に

メキシコ兵は壊滅させられる。



そうしてテキサスは独立する。



その悲劇の舞台となったのが

このアラモ砦なのである。





■ エルパソ・・夜景の街 ■


私の出身函館も夜景では有名であるが、

エルパソの夜景は函館の夜景に勝るとも劣らぬ美しさだった。



街は海抜1000m以上のところにあるため寒かったが、

空気が澄んでいて、よけいに夜景が美しく見えた。

もちろんクリスマスのライトアップも助けていただろう。



荒野の中を何百マイルも走ってきた

私たちの疲れはこの夜景で癒された。



街にはメキシコ人が多く、

ネイティヴ・アメリカン(インディアン)の居住地も多数ある。



世界最大級の鍾乳洞もあり、

観光スポットとなっている。



■ ツーソン & OLD TUCSON STUDIO ■







我々はさらに西へと車を走らせた。

サンディエゴの友人には25日には

到着すると伝えてある。



車からの景色は緑から黄土、

赤土色へと変化してゆく。



赤い岩肌が露出した山々や砂漠、

砂漠の中にはサボテンがにょきにょきと突っ立ている。



はじめてみる景色に心躍らせ

妻は「すご〜い」の連発だった。



ツーソンに着いた私たちは

オールド・ツーソン・スタジオに立ち寄った。



ここは西部劇の映画が撮影された場所で、

英雄ジョン・ウェインの映画が何本も作られた。



「大草原の小さな家」などもこのスタジオで撮られた。

あのローラが通った教会がそのまま残されていた。





ガイドさんの話によると、

ジョン・ウェインは背が低かったらしく、

彼を大きく見せるために、

映画のセットは小さく作られているとのことであった。

つまりここでは背の低い自分も英雄になれるということだ。



■ 聖なる植物サボテン ■


ここアリゾナはサボテンで有名だ。

高さが2m〜3mはあり、

直径は30cm〜40cmもある。

つまり巨大だ。



ネイティブアメリカンはその昔、

死んだらサボテンになるのだと信じていた。



それゆえ、

サボテンを聖なる植物として、

また先祖として大切にしたそうだ。



山の岩肌から何本も生えていたサボテンは

確かに人の形をしていて、ネイティブアメリカンが

そう信じたのも無理はないと思った。






■ やっと着いたサンディエゴ! 太平洋! ■


この旅の目的は

私の友人Rhett Hallとの再開であった。



彼は10年前に日本に来て、

私と2ヶ月間衣食住を共にして働いた仲である。



4人の子供を持ち、

カイロプラクティックを経営している。



私よりも1歳年下で、

生年月日がまったく同じである。







きれいな奥さんを連れて、

あらかじめ決めておいた待ち合わせ場所に来てくれた。



あれから10年積もる話はいっぱいあった。



まずは彼の家についてクリスマスプレゼントの交換。



山を越え、

谷を越えてやってきた私たちを

とても快くもてなしてくれた。



子供を寝かせ、

旅の疲れを流した後、

私たち夫婦と彼の夫婦はテーブルを囲み、

昔話に花を咲かせた。



二日目私たちは彼の家族と彼の通う教会へ行き、

その後ゲームをして遊び、

街の夜景と建ったばかりのサンディエゴテンプルを見に行った。








それはそれは巨大で、美しく、

この世のものとは思えぬものだった。



夜景にも美しく映え、

多くの人がその建物の前で写真を撮った。



私たちも写真を撮った。



その後、

彼のリクエストで、

夕食にとんかつと焼きそばが食べたいということだったので、

妻と10人分の焼きそばととんかつを準備した。



結局食べたのが9時で子供たちは眠たい様子だった。



翌日はショッピング、

街を見て回った。



サンディエゴにはトップガンが撮影された空軍基地があって、

私のリクエストで彼は私たちをそこへ連れて行ってくれた。



守衛所があり、

車を止められ、

用件を尋ねられた。



「ただ見に来ただけ」というと、

「あなたたちのような人を入れるわけには行かない」と

断られ、我々は引き返した。



しかし、

戦闘機をいくつも見ることができ、

心はウキウキだった。




■ 太平洋! そしてむこうはZIPANG!! ■


冬だというのに、誰もが半そでだ。

なんていい気候なんだろう。



サーファーが大勢浜辺に集い、

サーフィンを楽しんでいる。

ここはどこまでも続く海岸線・・・ロングビーチだ。






サウスキャロライナでは

チャールストンの街から大西洋を眺めた。



しかし、

太平洋を見たとき、

なぜか親近感が沸き、

ふしぎな安堵感につつまれた。



あの水平線のかなたに日本がある。

本当にきてよかったと思った。




■ サンディエゴ また来るよ! ■


このわずか数日間の滞在で

私たちはとてもサンディエゴが好きになった。



友人がそこに住んでいるというのが第一の理由だろうが、

街全体も美しく、

できることならこのまま住みたいとさえ思った。



次の朝、

彼は私たちを見送るために朝だけ仕事を休んでくれた。

「他に見ておきたいものはないか?」と聞くが、

彼と彼の家族に会えて十分だった。



数日間の滞在はあっという間にすぎ、

旅立ちのときを迎えた。



またの再開を約束し、

サンディエゴを旅立った。




■ ついに発熱! 拓也39度 ■


サンディエゴを旅立つ頃から、

なんとなく元気のない拓也。



いつもなら遊園地があれば我先に飛び出していくのだが、

遊園地を見ても浮かない顔、

なにかあるなと予想はしていたが、

ツーソンでの2日目の朝、

彼は熱を出した。



朝4時妻に起こされ、

早速保険会社(安田火災海上)に電話(フリーダイヤル)をし、

病院を紹介してもらい、

拓也を連れて行った。



地図を見ながら行ったが、

なかなかたどり着かない。



20分もあちこちまわって

やっと探していた大学病院にたどり着いた。



受付で症状を尋ねられ、

診察室へ向かうと、

拓也は裸にされ、

お尻から体温計を入れられ熱を測られた。



39.2度



日本だと熱を出したら「薬を出しておきますから、

温かくして寝かせておいてください」だが、

アメリカの病院は熱が下がるまで裸にしておき、

熱が下がるのを見届けるまでは、

病院から帰さない。



入れ替わり立ち代り部屋に人が入ってくるが、

みんな聴診器を下げていて、

医者なのか看護師なのか

胸の名札を見なければ分からない。



妻は

すっかり医師たちのかっこよさに見とれて、

医師のはなしもろくに聞いてはいない。



車の中では「あのお医者さんかっこいい」を連発していた。




■ 旅を終えて ■


片道6日間の長旅に

妻も子供たちもよく耐えた。



一日8時間から9時間車の座席にしばられていたら、

CRAZYになってもおかしくないが、

子供たちは良くがんばった。



旅の途中の人気 BEST 3



車の中で歌った歌


1位 キシャポッポ

2位 線路は続くよどこまでも

3位 ぼくらのロコモーション



飲み物


1位 オレンジジュース
(風邪の予防もかねて・・・そしてなんといっても安い)

2位 シュワ(拓也語・・・7up のこと)

3位 水



スナック


1位 M&Mチョコレート

2位 ナチョス

3位 かっぱえびせん



昼食


1位 そうめん

2位 サンドウィッチ

3位 ハンバーガー(バーガーキング)





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